2016年07月02日
第三話
2
王城へ向かうには昇降機を利用する。魔法によって物体を移動することができるが、それを応用して作り出された大多数の人間や物品を運搬するためのものだ。もちろんそれを使うことができるのは王城に用事がある人間の中でも階級が上の人間だけに過ぎない。
王城を中心として構成されている都市ファミリア。同心円状に人工の山脈が形成されており、下層に住むのは一般市民、上層に住むのは騎士階級以上の人間だけ。まさに階級制度を見た目で表した場所であるのが、この都市だった。
「相変わらず、人間は『階級』に縛られていることを幸福と考えているのだろうな」
昇降機の窓から騎士団長は外を見て、僕にそう語りかけた。
僕は入り口のほうから遠い目線で見つめていたため、その表情を窺い知ることは出来ない。
「……まあ、階級は我々が生まれる前から存在していた。正確に言えばそれが世界の仕組みとして介入しているものだといっても過言ではないだろう。過去の人類が、簡単に人類を統括するためにはどうすればよいか? 考えた結果がこれだっただけに過ぎないのだから」
「階級は昔から存在していました。それが人間にとって無益な争いを幾ら生んだことになるでしょうか。上級騎士法も、その争いを未然に防ぐために実行された法律にすぎません。簡単に言えば、我々が我々であるための……」
昇降機の扉が開かれたのはちょうどその時だった。騎士団長は踵を返し、先に外へ出て行った。
外に広がっていたのは巨大な石のアーチだった。アーチの両端には豪勢な造りの家が並んでおり、それが貴族の家であることが十分に理解できる。アーチの根元には銀の鎧に身を包んだ兵士がそれぞれ一人ずつ立っており、監視している状態になっている。
騎士団長と僕が通るタイミングで乱れなく兵士は敬礼をした。騎士団長と僕はそれに軽く頭を下げて答える。これは礼儀だ。礼儀を軽んじる者はいずれ失墜する――それは僕の師匠の言葉だった。だから僕はそれを守っている。
アーチを抜けると木の扉が僕たちの行く手を阻んだ。そこにも兵士が居るのだが、騎士団長の顔を見るとすぐに兵士は扉を開ける準備に取り掛かった。
扉が開くまでそう時間はかからなかった。開け放たれた扉を抜け、ようやく僕たちは城内へと入ることができた。
「ところで、なぜ国王陛下と祈祷師に謁見する必要が……」
「未だ、解らんか」
溜息を吐いて、騎士団長は歩き続けたまま話を続ける。
「祈祷師会議で一番に狙われるのは国王陛下ではない。国王陛下は常に我々上級騎士団が守っているからだ。問題は祈祷師。狙われるのは祈祷師のほうだ。もちろん、祈祷師にも騎士団の庇護がある。だが、それでも国王陛下と比べればそのグレードは落ちるものとなる。当然かもしれないが、祈祷師は普段外へ出ることはない。この城のエリア、あとは庭園か……そこしか出歩くことを許されていない。それは上級騎士団が全部をカバーしきれないから、せめて城内から出てほしくない。そういう意味を兼ね備えている、ということだ」
「では、祈祷師にお付きの騎士を……それで先ほどの話と繋がるわけですか」
「そういうことだ。もしかして、まだ気が付いていないのか? だとすれば、相当お前は察しが悪いな。……まあ、いい。どうせ国王陛下自らがお前に勅令を下すはずだ。そうすればお前はいやでもその意味を理解するだろう」
こつり。
僕たちはそこで立ち止まった。
そこにあったのは、鳥が果実を背負い飛び去ろうとしているモチーフが象られた扉だった。それは紛れもなくこの国の国旗そのものであり、その場所は国王陛下の間の入り口であった。
「失礼いたします」
騎士団長がその言葉を言ったと同時に、扉は開かれた。
ぎい、という古い音とともに扉は開かれる。それは人間が開けたとか何かのカラクリが働いているというわけではない。これもまた魔法により自動化されているものに過ぎない。
この国は階級制度の厳格化とともに、魔法の有効活用としてその技術を発展させることに尽力していった。その一つが魔法を用いた自動化だ。魔石――魔法を使う際のエネルギーが詰まった塊に魔法陣を刻み込むことでそのシステムを自動化することができるらしい。らしい、というのは僕が魔法に対して知識が乏しいだけなので、それ以上知らないということ。もっというならその知識すらかつて『彼女』から聞いた情報に過ぎないのだが。
扉が開かれて、僕たちは前に進む。赤いカーペットが足元に敷かれ、目の前には巨大なステンドグラスがあった。ステンドグラスにも鳥が果実を背負う姿と人間が戯れる姿が描かれている。国旗をモチーフにしたものであり、それは国王陛下の権威を象徴しているものとも言えた。
国王陛下の面前まで到着し、僕と騎士団長は跪き頭を下げた。
「国王陛下。アルファス・ゴートファイド上級騎士を連れてまいりました」
「うむ。楽にしてよいぞ」
その言葉を聞いて僕と騎士団長は頭を上げる。
国王陛下はじっと僕を見つめていた。国王陛下の目はじっくりと僕を調査するかのように体を見つめており、そして僕も国王陛下の目を見つめていた。
吸い込まれてしまいそうな雰囲気。
それが国王陛下の印象だった。別に今回が初めてというわけではない。もっというなら何度も謁見したことはある。だが、何度謁見してもそのイメージがぬぐえることはない。むしろ逆にそのイメージが増したように見えた。
そういう恐怖を見せつけることができるからこそ、国王陛下はずっとその場にい続けることができるのかもしれない。
「アルファス上級騎士。話は聞いているな? 五日後、この国で三日間祈祷師会議が行われる。世界各地に住む祈祷師が集まり、世界の行く末を合同で祈祷し、思し召しを受けるものだ。もちろん内容としてはそれだけではない。祈祷師から考えた世界の進路を決める方法。それを具体的に考えるのが祈祷師会議なのだよ」
「承知しております」
僕はこくりと頷いて、そう答えた。
そして国王陛下もまたゆっくりと頷いた。
「うむ。祈祷師会議は厳正な場である。そして、三日間という長い時間実施される。残念なことに上級騎士団でも人員を割くのは難しい。今回は我が国で実施されるから猶更だ。そこで一人をお付きの騎士としておきたいのだが……」
「それを、わたくしに?」
国王陛下は再度頷く。
「ああ、そういうことになる。三日間寝食を共にしてもらう、ということだ。ただし、会議といっても祈祷師は会議期間中の大半を祈祷に占める。そのため、実際は明日からの四日間も準備期間に入れることとなる。だから正確には明日からの七日間……ということになるかね」
「……寝食を共に、ですか?」
「いつ狙われるか解らないだろう? 祈祷師は私と並んで地位の高い人間だ。いや、あれは人間ではない別の何かといっても何ら不思議ではないが……。いずれにせよ、あれをどう狙ってくる輩が居るか解った話ではない。その言葉の意味が理解できるか、アルファス上級騎士よ」
その言葉の意味を理解できない僕では無かった。
「……私が長く話をしても意味はないだろう。とにかく、まずは本人に出てきてもらうこととしよう。おい、祈祷師はどうした」
国王陛下のすぐそばにいた兵士は、その言葉を聞いて敬礼をしたのち、
「はっ。直ちに連れてまいります」
そう言って背後にある扉から外へ出て行った。
その間、僕は考え事をしていた。
上級騎士になるために、彼女と一緒にいたいために、僕はずっと彼女と会うのを自主的に禁じてきた。それは彼女と出会うことで未練が生じてしまうと思ったから。その未練を簡単に断ち切ることができないと思ったからだ。
彼女と僕は幼馴染だった。一時期はずっと同じ一般市民として生活していた時期があったくらいだった。
彼女と僕を切り裂いたのは、七歳の時にあった『選別』だった。
名前の通り、階級を選別するもの。それは祈祷師や、或いは貴族によって行われるものだ。それも思し召しによって決定されているもので、僕たちはそれについて逆らうことはできない。もし逆らったならば神の意志に逆らったとして即刻処刑されてしまうだろう。
そして彼女は、その思し召しによって――祈祷師になった。
祈祷師は上流階級、それに対して僕はただの一般階級。会うことなんて簡単には許されない。だから暫くの間は僕と彼女が出会うことは無かった。
僕と彼女が再び出会うことになったのはそれから七年後のこと。十四歳で騎士になった。自由に出会う機会とまではいかなかったけれど、彼女と会う機会を得られた。祈祷師になった彼女は服装や粗相などすっかり変わってしまったが、僕だと気付くと直ぐに近づいて涙を流した。
彼女は祈祷師になったとしても、彼女のままだった。
「祈祷師が到着なされた」
その声を聴いて僕は我に返り、首を垂れる。単純明快ではあるが、祈祷師は国王陛下とほぼ変わらない地位を持つ。だから僕たちがめったに出会えることはない。階級的には上流階級の中でもさらに上。最上級といっても過言ではない場所に存在する。
「面を上げてください」
僕はその通り、顔を上げる。
国王陛下と僕たちの間に、彼女は立っていた。
赤と白を基調にした祈祷師のみが着ることを許される服を身に纏う彼女は、ただ僕の顔を見つめていた。
国王陛下の話は続く。
「……聞けば、かつて君たちは幼馴染だったらしいではないか」
なぜそのことを国王陛下が知っているのかと一瞬思ったが、普通に考えれば選別の時点で国王陛下は全国民の階級を理解しているはずなので、知っていても不思議では無かった。
「はい。さようでございます」
仕方ない。ここで隠したとしても、ここで嘘を吐いたとしても何の意味もない。そう思って僕は答え、頷いた。
国王陛下は立ち上がり、祈祷師である彼女の頭を撫でた。
「だから、慣れるのはそう難しい話ではないだろう? まあ、そのころの彼女とはまったく違うとは思うが……。何せ、祈祷師はふつうの人間ではこなすことができない。そのために、いろいろと訓練が必要であるからな……。おっと、それはまあ、それぞれのところで話してもらえれば良いだろう。住む場所と食べ物、その他もろもろについては彼女に聞くといい。エレン・カルールは居るか!」
「ここに」
そう言って姿を見せたのは、水のように透き通った青い髪に、白いシャツに胸には赤いリボンがついている。黒いコートのようなものを肩から羽織っている彼女もまた、剣を腰に携えていた。
きりっとした瞳は、しっかりと国王陛下を見つめていた。
国王陛下もまた彼女の瞳を見つめて、ゆっくりと頷く。
「うむ、実に早く到着してくれた。アルファス上級騎士、彼女はエレン・カルールだ。王宮騎士の一人であるが料理に掃除……所謂家事全般が得意なものでね。彼女に、困ったら何でも話すといい。ある程度のことならば、正確に言えば彼女が解決できる範囲のことであるならば、解決してくれることができるだろう。あるいは、それに対するアドバイスをもらえるかもしれない」
「アルファス上級騎士様、祈祷師様。はじめまして」
エレンは僕と彼女のほうを向いて頭を下げた。
そして顔をあげて、恭しい笑みを浮かべる。その柔和な笑みは、自分は敵ではない、ということを暗に示しているようにも思えた。
「私はエレン・カルールといいます。国王陛下からもありましたように、世話役としてあなた方とともに行動することとなりました。祈祷師会議の終了まで、いろいろとご迷惑をかけたり、逆にいろいろと解決の糸口を見つけたりすることが出来ると思います。ですので、よろしくお願いしますね?」
それを聞いて僕は頷いた。
彼女は右手を差し出して、それを見た僕もまた右手を差し出し、固い握手を交わすのだった。
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| 死の花が咲いた日
第二話
第一章 謁見
1
経験値。
それは精神的な成長具合を示すパラメータのこと。
一般的な考えはそうかもしれない。
だが。
この世界における経験値は肉体的パラメータの一面もある。
刀身から赤い液体が滴り落ちる。その脇には、人が倒れていた。その人もまた赤い液体の海に沈んでいる。
そしてそこから、赤い花が咲いていた。
見るものを圧倒させる美しさ。しかしながらその花が咲くのは人の死に際だけ。花が咲くエネルギーは人間の『経験値』。
経験値について、もう一度整理しよう。
経験値は名前の通り、『経験』という不確かなパラメータを数値化したものだ。人を斬った経験、女を抱いた経験、勉強をした経験……経験は幾つもある。それをうまい具合に数値化したものが経験値という。
そしてそれを糧にして死んだあとのエネルギーが爆発して咲く花が、目の前に咲いているそれだった。もっともらしい名前もあったように思えたけれど、結局みんなこう言っている。
死の花。
人々はその花をそう呼ぶ。そしてその花から経験値を摂取する方法は――。
花を摘み、僕はそれを躊躇うことなく口に運んだ。
血の味と、ほろ苦い味。それに生臭い香りが口の中に広がった。
はっきり言ってこの花はおいしいものではない。
もしかしたら経験値を得ることに対して人間の拒否反応が出ているのかもしれない。
けれど、これを食べて、生き残っていかねばならない。
「……レベル2くらい上がったかな」
僕はそう独りごちる。残念なことにレベルは自分自身で確認することはできない。教会に行って神託を聞く必要がある。教会に居る人間もまた祈祷によって神の意志を確認することが出来るのだが、その種類は祈祷師とは異なり、人間のレベルを確認することしか出来ない。
神父様も神様に祈りを捧げている。それによって神様から情報を得ている。まったく、神様は代償も無くよく人間の言うことを聞いていられるものだと思う。それとも、祈りだけで神様は飯が食えるのだろうか。だとすれば随分エコな神様だとは思うが。
花を食べたことにより、エネルギーを吸収する源が消滅する。それはエネルギーが枯渇した肉体がその姿を保てなくなるために起きる現象だった。花が残っているうちは肉体にも若干のエネルギーが保持されているために肉体が消滅することは無いのだが、花が消滅してしまっては話が別だ。エネルギーが供給されなくなってしまい(そもそも死んだ時点で人間の身体はエネルギーの循環がストップし、機能そのものが花に移行してしまう)、肉体はその状態を保持できなくなる。
簡単に言っていることかもしれないが、これが人間の摂理だった。
花を食べなくては、強くなることはできない。
訓練で得られるものなど、所詮戦い方という知識に過ぎない。単純に肉体のレベルを上げるためには経験値を得る必要があり、そのためには人を殺さねばならない。
もちろん、この世界にはモンスターという人ならざる者が生きている。そいつらを――モンスターを殺すことでも花は生える。だからそれを使えばいいのかもしれない。
だが、人間の経験とモンスターの経験は必ずしも同じ換算ができるものではない。
モンスターを殺して得られる経験値は人間のそれと比べて数倍も低い値を得ることができる。つまりモンスターを殺しても経験値は得られるのだが労力が何倍もかかってしまうということだ。
はっきり言って、それは非効率だ。
効率を上げるためにはどうしても人間を殺す必要がある。
それがこの『階級』制度だった。
人間があるピラミッド状にある階級を付与される制度のことだ。上から順に国王や大臣、祈祷師などの上流階級、次に騎士や兵士といった騎士階級、次に一般市民全体を指す一般階級、そして、最後は――。
「アルファス・ゴートファイド上級騎士、何をしている?」
声が聞こえて、僕は思わず姿勢を正した。
もしその声が自分の上司であるならば――姿勢を正し敬意を表す。たとえそれが、ほんとうに尊敬の念を持っていない人間であったとしても。
踵を返し、声のほうを向くと案の定上司であるミリグラート騎士団長だった。
ミリグラート騎士団長は貴族の生まれだ。すなわち階級でいうところの上流階級となる。
そもそも僕たち上級騎士は階級でいうところの上流階級に所属することとなる。もちろんそこになるためには血のにじむほどの努力が必要であり、幾重にも存在する昇級試験に合格する必要がある。
上級騎士の大半は上流階級なのでスタートがそもそも高い位置にある。だから試験を受ける回数も少ない。
問題は僕のようにもともと一般市民だった人間の場合のこと。そもそも騎士に志願してそれが通れば騎士階級になることはできる。その中でもピラミッド――ヒエラルキーが存在して、その最下層に入ることになり、そこが僕たちのスタートラインになる。
そこから先ずは騎士階級のトップ、中流騎士にならねばならない。兵士長を務めあげ、試験を重ね、騎士団長のお気に入りにならないと上級騎士の試験を受けることができない。
そこまで登りつめるにはそう簡単なことではなかった。
でも僕は成し遂げて、今はここにいる。
「……花を食べたのかね」
騎士団長はマントを翻し、溜息を吐いた。
嘘を吐いてもどうしようもないので、正直に答えた。
「指名手配犯でしたので。上級騎士法にのっとり、処罰いたしました」
上級騎士法。
それは長ったらしい法案の数々だが、簡単にまとめてしまえばたった一言で収まってしまう。
上級騎士は下の階級の人間に対して、犯罪を行ったという立証が掴めれば殺して構わない。
もっと簡単に言ってしまえば、上級騎士はその人間が犯罪を行ったと判明すれば殺しのライセンスを認めるというものだった。
至ってシンプルであり、至ってクレイジーな法律といえる。
だが、そうでもしないと上級騎士はレベルを上げることができない。
さらに上を目指すことはできない。
「……これで血を拭うがいい」
そう言って騎士団長はタオルを僕に投げ入れた。
「何かありましたか?」
僕の言葉を聞いた騎士団長は溜息を吐いた。
「……どうもこうも無いだろう。今日は国王の謁見だ。祈祷師が思し召しをする日でもある。その思し召しをするところで、どうやらもう一つ発表があるらしい。そのためにお前を今から城へ連れて行かねばならない。言っている意味が分かるな?」
「え。それって……」
「『祈祷師会議』」
簡単に、騎士団長はその名称だけを言った。
「名前だけは知っているだろう? 世界各地の国に散らばる祈祷師を集めて会議を行う。今回はこの国で行われる。そしてこの国で祈祷師を守るお付きの騎士が必要……というわけだ。まあ、そこでお前が呼び出されるということはほぼ確定だと思うが、そういうことだ」
パン、と肩をたたく。痛い。
血を拭ったタオルをどうすべきかと思いながらも、僕は剣を仕舞う。
「……それじゃ、今から」
「ああ。そうだ。城に向かうぞ、アルファス。身支度は問題ないな? ああ、それとタオルは回収しておこう。国王と祈祷師に謁見するのにそれは不要だ」
手に持っていたタオルはあっという間に回収されてしまった。どこかのタイミングで捨てるのだろうか。別にまだ使えそうだったからこちらとしては何の問題もなかったのだが。
それはそれとして。
騎士団長と僕は、一路城へと向かうことになるのだった。
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| 死の花が咲いた日
第一話
その部屋は甘い香りで満たされていた。縦に一筋だけ光が差し込み、中では少女が祈祷を行っていた。生い茂る草木のような鮮やかな緑の髪に、白磁のような肌。白と赤を基調にした彼女しか着ることを許されない祈祷専用の服を身に着けていた。
石畳の部屋には彼女しか居ない。それは人間が、という意味では無くテーブルや椅子等の物品も無いことを示している。
石畳の部屋――祈祷の間では静寂を満たすことが基本とされている。基本、ということは例外もあるのかと言われるとそういうわけではなく、最終的にそのルールは遵守されていることとなる。
なるべく足音を立てないように。それは彼女に気付かれないように、ということもあるが、正確に言えばこの空間での祈祷の継続こそが最優先事項ということがあるからだった。
「アルファス。別にしゃなりと歩かなくてもいいのですよ。自然に取り繕ってもらって構わないのですから」
「……祈祷を邪魔してはならない。そう思いまして」
気付かれてしまったことは仕方がない。僕は彼女の言葉に答える。
彼女の話は、さらに続いた。
「祈祷など、もう意味が無いのですよ。この国には、特に」
彼女は溜息を吐いて、立ち上がる。暗い場所だからか、ゆっくりと、かつ着実に一歩一歩僕のほうに向かう。
そして僕の身体に触れて、彼女は安堵したような表情で再び溜息を吐いた。
「えへへ。アルファス、今日も遅くまで頑張ったんだね?」
「そりゃあ、そうですよ。僕は一介の護衛兵です。ただ思し召しがあっただけの……」
思し召し。
神と唯一繋がることを許される存在である祈祷師からのお言葉。正確に言えば、その言葉は神が話している言葉と同一であるから、即ちそれは神の言葉といえる。この国では、その思し召しに従わなくてはならない。たとえそれがどれほど難儀なものであったとしても。
「思し召し。うん、うん、そうだね。思し召しは覚えているよ。まあ、だれがどう話していたかまでは覚えてはいないけれど」
思し召しは発言こそは祈祷師から発せられる。しかし、それは神の意識が移ることによってはじめて発せられる言葉となる。だから、思し召しをしている最中、当の祈祷師にとっては何を発言しているのか知らない。意識が消えてしまっているのだという。
彼女は僕に抱き着いて、離れない。
「……この甘い香りは、どうにかなりませんか?」
「うん。これはどうにもならない。これは祈祷がしやすくなる香り。正確に言えば、意識を移しやすくするための香り。……もしかして、嫌いだったかな? だったら止めることも出来ないことは無いけれど。お香を焚いているわけだからそれを消せばいいわけだし」
「いや……別にいいですよ。あなたが気にしていないのならば」
僕はこの甘い香りが苦手だった。鼻につく、といえばいいのだろうか。苦手な香りだった。拒絶反応を示していた。でも彼女はこの香りが満たされている空間で常に祈祷をしているから、もしかしたら拒絶反応を示さなくなったのかもしれない。
「何だ、今日のアルファスはちょっと不機嫌な気がするよ」
「不機嫌。僕が、ですか?」
彼女の言葉を聞いて僕は失笑してしまう。僕のことをそんな風に思ったことは無いというのに。
いや、もしかしたら。
それは彼女なりの気遣いだったのかもしれないけれど。
「祈祷は、もう終わったのですか?」
僕は改めて彼女に問いかける。
彼女は深い溜息を吐いて、それでも、彼女にやさしく語りかけた。
彼女は僕の身体をぺたぺたと触りながら、話を続けた。
「それにしても、アルファスはいつも頑張っているね。そんなに大変ならば辞めてしまえばいいのに」
「そんなことはできませんよ。祈祷師を守る刀になる。それが僕の目的ですから」
祈祷師はこの世界でも一握りしか居ない。
そしてその祈祷師を守る騎士になることが出来るのもまた一握りに過ぎない。
祈祷師はこの世界の全てを神様から教えてもらうことの出来る職業だ。髪の意識が移ることで得られる思し召しということを通しているらしいけれど、それは常に発せられるわけではなくて、思し召し自体はこの世界の未来を教えてくれるだけに過ぎない。
即ち、それをどのように回避したり実行したりしていくかは、人間に任せられている、ということになる。
世界の始まり。
世界の終わり。
世界の分岐点。
それだけを教えてもらったとしても、結局それを回避することが出来るかは人間にかかっている。そんなことを言われたところで何も変わらない。仮に数年後に伝染病が流行することになり人間の半分が死ぬことになる――そう言われたところでそれを回避することの出来るワクチンがその技術力で開発することが出来るか。そう言われてしまえば元も子もないのだが、結果として、思し召しについてはメリットとデメリットが多いと言われている。
一つの考えとして。
思し召しについては悪くないと考えている人が多い。人間が神様の所業についてどうこう言ったとしても、その神様を皆が信仰しているので特に意味が無いといえば無いのだが。それはただの無意味な抵抗と言えるだろう。
「……ねえ、アルファス? どうかしたの?」
彼女の言葉を聞いて僕は我に返った。どうやら長い考え事をしていたらしい。長い考え事をしていると、いつも僕はどこか遠いところに行ったように見えてしまうようで、彼女はいつも困り果てていた。
彼女を心配させてはならない。そう思い、僕は彼女のほうを向いて頷いた。
「問題ありませんよ。僕は、ただ少し考え事をしていただけですから」
「なら、いいのだけれど」
彼女は溜息を吐いて、目を瞑った。
それを見て僕は一目で理解した。彼女の行動は何度も目の当たりにしているからだ。
祈祷。
神様に祈りを捧げて、思し召しを得る。そのための行為。祈祷は誰にもできることではない。形だけならば誰でも出来ることだと思うが、それを形にすることが出来るのは、紛れもなく祈祷師だけだった。
そもそも。
祈祷師は代々受け継がれている。
その血を、その能力を、その感性を。
祈祷師は代々祈祷師としての能力を受け継いだ形で、そのまま祈祷師として一生を過ごす。だから、祈祷師に至っては生まれた時からすでにその一生が決められていると言っても過言ではなかった。
彼女もまた、僕と出会う前からその一生を運命づけられていた。
そして僕もまた、彼女が祈祷師だと知ってから、その一生を運命づけていた。
彼女を守るために、僕は彼女の剣となろう。
それは僕のエゴかもしれない。彼女はそれを望んでいないかもしれない。
それでも。
僕は剣を構える。剣を振る。敵を切り裂く。
たとえそれが、険しい道であったとしても。
彼女が目を開けて、微笑む。どうやら祈祷が終わったようだった。
「……祈祷はどうでしたか?」
「思し召しはいただけませんでした。……毎回、いただけるものでもありませんけれどね」
「そういうものですか」
「そういうものです」
短い会話を交わし、彼女と僕の間に静寂が生まれた。
本当ならばもう少し居たいところだが、そろそろ稽古の続きを受けてこなければならない。
だから、僕は彼女と別れた。
それは彼女の剣となるためには必要な訓練だったから。
数年後。
僕は祈祷師を守る上級騎士として。
彼女は思し召しを聞く祈祷師として。
僕が望んだ立場での再会を果たすことになるのだが、それはもう少しあとの話になる。
posted by かんなぎなつき at 00:00| Comment(0)
| 死の花が咲いた日